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オンライン囲碁教室・大人のための初心者囲碁教室・こども囲碁教室の関西棋院のプロ棋士2段のたかつです。
今日のテーマ「たかつ社会人編」
自分語りをしようと思います!
棋士になるまでのプロフィールはこんな感じです。
https://kado-igokyoshitsu.jp/leader/
前回の記事でプロ棋士とサラリーマンと二足の草鞋で社会人生活をスタートしたと書いたのでリアルな話を記事にしようかと思います。
2011年2月 関西棋院にて入段
本来であればプロ棋士の年齢制限は入段時に23歳未満とされています。
私がプロ棋士になれたのは23歳の時だったのでどんな裏道を使ったのかと普通は思われるかもしれませんね笑
大学三回生のプロ試験で落ちたときにプロ棋士の道は閉ざされました。ただ大学の卒業を間近に控えたときに研修棋士制度で受験資格を得ることとなります。
※対外的には正式な棋士として対内的には準棋士として、というような制度です。
※対局は10人いる研修棋士同士で研修棋士予選(0回戦のような)から勝ち抜き正式な予選に進みます。
正式な棋士とは違い対局をすることも収入的にも厳しい制度ですが一度絶たれた夢だったので受験をしました。
無事受かることが出来て新卒で就職が決まっていた会社に連絡したところ「じゃあ両方頑張って」との事だったので2011年4月からサラリーマンと棋士としての生活が始まりました。
2011年4月 棋士とサラリーマン
棋士は拠点が大阪、サラリーマンは拠点が名古屋の企業でした。サラリーマンの仕事が終わってから大阪に行ったり、手合いが終わってから名古屋の職場に行ったり若さが無ければ倒れていてもおかしくない生活でしたが非常に充実した生活だったのかな、と思います。棋士が本職かサラリーマンが本職か、とよく言われましたが「棋士が本職」という思いは思っていました。今ではそのような生活をする棋士も少なくありません。ただ当時は「あいつは棋士なのに他で仕事をしている。覚悟が足りない」とか「保険をかけている」なんて思っている人もいたのかもしれませんが元来、朴念仁な質ゆえにあんまり気にはしておりませんでした。
そんな生活を半年ほど続けていたのですが問題がありました。
手合いで勝てない
なかなか手合いで勝てなくて「自分はこれでいいのか」と悩むようになりました。
そんなこんなでたったの半年でサラリーマンを辞めて囲碁棋士だけで飯を食うんだ!と決意をして大阪に引っ越して「囲碁棋士」だけの生活が始まりました。
ちなみに貯金スカウターほぼ0円(´;ω;`)
2011年10月 棋士生活
大阪に引っ越し家賃3万2千円(水道代込)の格安アパートに引っ越しました。貯金もないし仕事も囲碁の仕事を頑張るんだ!とはいったものの気持ちだけで上手くいく世界ではありません。プロ棋士は
「対局をして勝ち生計をたてるトーナメントプロ」
を目指す仕事です。覚悟を持った天才たちが集まるプロの世界で簡単に勝てるほど甘くはありません。
名古屋と大阪の二重拠点生活の時よりは対局で勝てるようになったとはいえサラリーマンとしての安定収入がなくなった事で生活はかなり困窮していました。
500円を握りしめてやよい軒でご飯を5回くらいおかわりしたりしましたが人より体が大きいので燃費が悪くすぐおなかが空いていました笑
あとサラリーマン時代の収入があったので健康保険料も一月3万ほどで払えるわけもなく、年金も払っていませんでした笑
ついでに家賃も2か月滞納するなどルンペンになる寸前でした笑
とりあえず虎口を凌ぐために、関〇テレビのカメラアシスタントのアルバイトをしたりP〇Sホームでテレフォンアポインターのアルバイトをしたりオ〇カーグループの黒服のアルバイトをしたりしてなんとか生活をつないでいました。
両親から心配の電話があったり大学の大先輩から心配の連絡があったりとしました。安定した生活を捨てたことは当時は後悔していたかもしれませんが今ではいい経験を積めたと思っています。
そんな生活をしていた時に転機が訪れます。
アルバイト先の不動産業を営むお客さんから「うちの会社に来ないか?」との打診がありました。 そこから不動産業界に進むこととなります。
ちなみにこの時点での貯金スカウターはほぼ0円
ついでに国民保険料などの債務がマイナスになっています笑
2012年4月 不動産業界へ
っと、かなり長くなりそうなのでとりあえず今回はこれくらいで!次回に続きます!
追記
着々と囲碁教室の準備と引っ越しの荷解きをしております。やっと今日ガスが通ってお風呂にはいれるようになりました(⁎⁍̴̛ᴗ⁍̴̛⁎)
これでバクテリアンと呼ばれなくて済みそうです。